「ぼくらの七日間戦争」:高校生の私達を熱狂させた、忘れられない日本映画

 

 


ぼくらの七日間戦争

映画タイトル:『ぼくらの七日間戦争

著者:宗田理

監督:菅原比呂志

出演:菊池健一郎、宮沢りえ、工藤正貴、金田龍之介大地康雄佐野史郎賀来千香子

公開年:1988年8月13日

国:日本

ジャンル:青春ドラマ・フィクション

 

青葉中学に通う生徒たちは皆、理不尽な校則と学校の管理教育にうんざりしていた。そんな中、男子たちが一人、また一人と教室からこっそり姿を消し、女子たちは怪しんでいた。何をしてるんだろう?

 

橋口純子は彼氏の相原徹から聞いて知っていた。橋口と中山ひとみと堀場久美子はこっそり応援に差し入れしに行くが、学校では次第に大問題になる。男子たち8人が廃工場に立てこもったのだ。

学級委員の中山ひとみはクラス中から何とかしろと責められ、女子三人で立てこもりに合流する。

廃工場に足場を組み立て、自分たちの要塞を作る彼ら。

ガキ大将達がそれぞれ皆、勉学とは違う自分たちの得意分野があって、知恵をフル活用、それでもって大の大人たちにカウンターを与えるところがいい。

 

生徒皆が感じる、

「子供に押し付けておいて自分らはどうなんだよ?!」

という思いを真正面から言い放って大人をからかい、たじろがせ、砂や水をかけて追い払ってしまうところは大興奮。

分かりやすくて、当時の教師たちに反撃を食らわせたい子供達には刺さる。

TM NETWORKのBGMが本当に良かった。なんというか、儚くて危険な10代の危機感と希望を表してるな、と思う。

 

 

 

この間、中学時代と担任の先生のことを書いた。

楽しい中学生活だったけれど、そのあと、まさかあんな黒歴史が待っていようとは。

その後の学生時代は、それまでとは打って変わって違う意味で相当に思い出深い体験だった。現在の校則とはまた別で、光るほどブラック。

 

実体験を紹介しようかな。

これを読めば、なぜこの映画が心に残ったのか分かるかも。

 

わが高校の特徴は、まずは校則。程度はひん曲がっているけど、中身は一般的なこれ。

 

まず髪型

髪型は、襟につかないおかっぱ(またはそれ以上に短い、ファッションを考えない短髪)。髪は伸ばしてもいいが、耳より下で二つ括りの三つ編みにすること。

三つ編みができない時期は、必ず後ろで二つ括りにし、伸ばすのは将来三つ編みをする前提であること。

もちろん化粧禁止、パーマ禁止、脱色や染める髪は禁止。

 

 

次に制服

他に、外出するときは(つまり、家を一歩出るときは)必ず制服着用。

今思うと宣伝のため?看板を背負わせることでおかしな行動はできないようにしてる?

髪型と外出時制服着用は、もしかしたらお嬢さん学校系で他にもあるかな?その後他県に就職してから、同じような格好を見た。

 

 

私の学校は日本全国から生徒が来ていたから、遠くから来ている子にはまだましだったかもしれない。帰省中は自由にできていただろう。それとも、学校の先生も全国から来ていたから、安全ではないかな…。実際どうだったんだろう?

 

まるで軍隊教育

ブラックなのは軍隊教育(勝手にそう思っていた)だった。

制服の話は、地元に住んでいる私には最悪だった。

私服外出は、見つけ次第、即、他の生徒から隔離されて学校謹慎になり、違反者だけの矯正教育が始まる。これが本当に辛くて面倒。捕まると、二度と規則違反しようとは思わなくなる。

 


市内には若い教師たちが住んでおり、地域のイベントがあると大勢繰り出して見張っていた。県外から来ている教師もたくさんいるので、遠くだからと言って油断はできないし、お目こぼしは一切ない。と思う。実際、他地方で見つかった生徒はいるのかな?

 

 

夏休みの私服外出で見つかり、二週間の謹慎

 

実は、私は夏休み、友人の母に着物を借りて地域の夜祭に出た時に、あっけなく見つかり、二週間の学校謹慎をくらった。

夏休みでも一人で登校して草むしりなど学校整備の手伝いやボランティアに参加させられる。他の謹慎者とは別行動。毎日の行動をレポートにし、規則を破ったことに対する反省文を担任に発表する。辛かったのは、怒られることではなくて、意識を強制的に変えさせようとしてくる圧力だった。

 

毎日色々な先生から交代で説教を聞く。

なぜこの規則が必要なのか考えさせられ、教育担当の先生から一対一で矯正教育を受ける。その時に言われたことは今でも忘れられない。

 

なぜ私服で外に出てはいけないか。パーマが許されていないのか。

「私服で外出することは悪い事だから」

「パーマをかけるのは良くない事だから」

と分からずに答えた。

 

「私服で外出することは本当に悪い事ですか!?」

「パーマをかけることが悪い事ですか!?」

執拗に何回もそう質問されたけど、これを言いたかったらしい。

 

 

””この学校は、校則を総長が決めている。この学校ではそれが決まりとなっている。だから守らなければならない。そういう組織だ””

””パーマは悪い事ではない。ただ、それを一人しだすと、全員がパーマをかけたくなってしまう””

 

一つ目は、当時思いもつかなかった考え方に、もはや納得して高校生活をあきらめた。大人の世界の決まり事だと思うけど、解せなかったのはは、こんな校則や運営は、入学してから分かった。それが理不尽だった。規則はあっても、ここまで厳格だとは知らなかった。

 

 

パーマに関しては、「ばかみたい。勝手だな…」と思った。私はパーマが似合わないのは分かっていたし、そもそも嫌い。まっすぐな日本髪をただ束ねた昔の友達が羨ましかったし、憧れてた。

だからパーマなんてするはずがない。

ただ、規則があまりにも厳しすぎたので、許すと反動で多くなるかもしれない。実際、高卒後は専攻科もあったけれど、私が見る限り、全員が長髪でパーマ、明るい色に染めていた(専攻科は許されていた)…確かにそうなるか…私は違うけど。

 

このことは私の中でトラウマになった。

近所の学校だったことが災いして、いつどこに先生が潜んでいるか分からないと不安で、夜間お祖母ちゃんの家にちょっと車で出かける時ですら、わざわざ制服を着て行ったり、母の車の中で背を低くし、おびえながらだった。

 

 

そして、学校の規則に触れさえしなければ逆にこんな髪型も違反じゃないのかよ!?と言うかのように、スポーツ刈りやソフトボール部員ほどに短く切って目つきも悪くなって三年間過ごした。制服着用が規則なら、たかが三年間くらい、外出なんてしないさ、と心に決めたからもうどうでも良く、実際三年間、家の門をほぼ出なかった。

たぶん坊主にしたって注意されなかっただろうな。

 

軍隊を思わせるところは他にもたくさんあり…というより、全部が軍隊だった。

 

普段の学校生活も団体行動の時は私語は厳禁。

音楽会、体育大会、朝礼、集会。

自主的な整列など期待もされず、校庭や体育館に集まりはじめると、のっけから先生たちが大勢うわーっと生徒の列に小走りで入ってきて、怒鳴る。

「ゴルァ!並べ!」「何やっとるか!並べぇ!!!」

月曜日の朝礼からこれがいつもの光景。これ、女の先生も。

入学した当日、これを見て、これからの三年間に一気に絶望した。

 

全員の歌の練習の時も同じ。

「今しゃべったのは誰だ!!出てこい!出てくるまで練習は止めだ!!」

声を出した生徒がブルブルしながら名乗り出るまで大声を上げ続ける。

 

体育大会もそう。体育”大会”の練習は一年の中でも相当長く、一日中だったり、二時間だけ通常授業だったりがしばらくの間続いた。

 

「運動”会”じゃない!体育”大会”だ!!!遊びじゃないんだぞ!」

統制のとり方はまさに軍隊。一糸乱れぬ行進で朝礼台に差し掛かると、右手を胸の前から総長に向かって差し出し、一斉に敬礼。

北朝鮮マスゲームと全く同じ。雰囲気は殆ど軍隊で戦前の日本と同じ(だと私は思ってた)。行進の練習が一番長く、頭の中は反発で煮えくり返っていて、一番嫌だった。

 

さっき書いた、学校謹慎になっている生徒はいつも一定数いた。体育大会の時に謹慎になってしまうと、その子たちだけで隔離され、「希望」というゼッケンをつけて別の団体として競技に参加していた。

人数が多かったからか、謹慎の生徒は人目に触れることは殆ど無くて、こういう全体行事になると別行動をする団体として表に出てきて、かわいそうだな…と思って見ていた。私は夏休み中で良かった。

 

個性は一切認められない学校だった。

 

 

 

とにかく学校は、生徒達をどうしても管理したかったらしい。今考えるとわかる。統制したかったんでしょう。その教育が学校の売りだった。

資格取得と厳しく律する教育のおかげで就職率の高さと企業からの高評価を誇っていた。

 

他にも軍隊エピソードはたくさんあるけど、怒られ方も特殊。

「後で職員室に来い!」

 

他の生徒から見えない所に個別に連れていかれ(たいていは職員室)正座させられて延々と、ものすごい大声で説教される。よく団体責任になる。とにかく怖い説教だった。それが教師同士の仕事してるアピールがあると生徒は思ってた。

 

用事があって職員室に行くときも、入口で声を張り上げて叫ぶ。

「○○先生に用事があります!入ってもよろしいでしょうか!?」

生半可な声では聞こえないし、返事もしてくれない。

 

すべてがこういう感じで進んでいた。

私の入っていた部活道に、外部から来ていた顧問の年配の先生だけは唯一にこやかで「普通」だった。

 

 

 

昭和の終わり、天皇陛下崩御された。

体育館に半旗を掲げて一週間喪に服し、体育館で長い長い集会があった。

たぶん通常の公立高校などよりは長い間この期間だったと思う。

 

 

暴力、言葉の暴力は無い学校だった

 

ただ、今振り返ってみると、「見上げた根性だ」と上から目線で思うところも見つかった。

とにかく怖く、規則の厳しい学校だったけれど、先生からビンタされるとか、けがをさせられることもなかったし、汚い言葉で人格を傷つけられることは私の知る限り、一度も無かった。個別で怒られるときはものすごく怖かったけど(私は怒られなかったけど)、職員室だったし、晒されて辱められることもなかった。

そんな噂は生徒の中でも一度も聞かなかったし、昭和の当時、他校によくいたとされる暴力教師というものはいなかった。

先生たちも厳しく管理されていたのかもしれない。

 

それに関しては、今思うと、褒めてやろう、という気になる(笑)

 

 

 

……そんな私たちが、あえて制服を着てまで、友達と県内の映画館に行って観たのがこの映画。

観終わった後、体や声がぶるぶる震えるほど大興奮しながら、友達と感想を言い合った。

 

これが忘れられない理由。今でも見直すとドキドキわくわくして楽しい。

私たちの高校時代を話すと、今だとおよそ信じられないかもしれない。だけど本当の話。そんな学生時代の真っただ中、まさにタイムリーな時期に放映されたことで、私たちは大いに沸いた。

 

 

【追記】

※このエピソードは、今から約40年前の個人の体験談です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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