リベンジャー 復讐のドレス:胸糞なのに、なぜかスカッとする。——仕立て屋ティリーが放つ、村への決別

 

先週、熱量だけで箇条書きにした日から1週間(1週間前に簡単に投稿していた)。消えない余韻と、『村へ決別』の正体について、2回目を観て改めて気づいた部分をまとめてみた。

(1週間前に書いた箇条書きの下に、新たに詳しく書いています)

ちなみに、深刻な書き方をしてるけどあくまでコメディ

 

◇◇

 

タイトル:リベンジャー 復讐のドレス 原題:The Dressmaker

監督:  ジョスリン・ムーアハウス

主演:  ケイト・ウィンスレット

     ジュディ・デイヴィス

     リアム・ヘムズワース

公開年: 2015年10月29日

国:   オーストラリア

ジャンル:コメディ

 

1、25年振りに田舎に戻ってきたティリー(マートル)・ダネージ。

 

ヨーロッパで服飾の技能を磨いて立派になって帰ってきた。彼女は幼少期、ある「殺人の疑惑」の犯人とされ、一人だけ村を追い出された過去があった。しかし、当時のショックからか、ティリー自身にはその瞬間の記憶が無い。彼女がわざわざこの閉鎖的な村に戻ってきたのは、年老いた母の世話と、「あの日、本当は何が起きたのか」という過去の疑惑を解明するためだった。

 

2、村は貧乏で何もない。最後まで見ていくと分かるけど、クズの集まり。

 

多くの村民の「弱み」を握る男が、村の王として君臨していた。その一人の悪党を、村人全員が"忖度"で支える異常な日常。一組の母娘を蔑むことが、村の平和を保つ唯一のルールだった。そのため、有力者の機嫌を取り、母娘を叩く。それがこの村の「正しい」振る舞いだった。

 

3、母親は一見認知症になっていたようだが……

 

…どうだろう?そういう事でもなさそうだ。娘から風呂に入るように追いかけまわされると、途端に俊敏に逃げ回る。
母は娘を忘れたわけではなく、過酷な村で「いないもの」として必死に生き延びていたのかもしれない。やがてこの母親が、物語の後半で圧倒的な存在感を放つことになる。

 

4、村社会にありがちな強きに従わなければいけない空気が蔓延しているが、優しい人物もいる。

 

息が詰まるような村社会だが、全員が悪人ではない。 幼少期のティリーを(大人の事情に縛られながらも)村の外へ逃がしてくれたファレット巡査部長もその一人。彼は帰ってきたティリーに「服のセンス」を偏見なく受け入れられ、彼女の良き理解者となっていく。

そして何より、「あの日の出来事を、陰で見つめていた目撃者」がいた!

 

5、ティリーはこんな村に縛られる必要もなく、立派に自立している

 

ティリーの最大の武器は、パリで仕込んできた最高の裁縫技術とデザインセンス。
彼女が仕立てるドレスは、文字通り「魔法」。昨日まで彼女を激しく虐めていた村の女性たちが、手のひらを返したように「私にもドレスを!」とティリーの元へ殺到し始める。

荒れた草原の村が、あまりにも美しく、滑稽なドレス姿の女性たちで溢れかえる。

 

 

6、ティリーの家は”丘の上”である。

 

村の美青年テディという恋人ができた事で少しずつ状況は変わり始める。この村で受け入れられ、生きていけるかもしれないと思うようになった。

けれど村のシステムは残酷だった。ティリーは自分の出生を知り、子供時代の事件の詳細を思い出したのだった。

 

そんな立ち位置にして、この「丘の上に家がある」という設定が妙に小気味いい。皆、下から見上げるように彼女の家を睨むのだった。

丘の上の家が、心も技術も優位性を語っているようで面白い。

復讐劇をコメディーで気持ちのいい映画にする設定として一役買ってる。

その「位置」が何を意味するのか…。

 

個人的な感想

・演出がもたらす「醜さ」の描き方

1回目に観た時は、心の美しい人物は顔も美しい、と見えた。特に、村の淀んだ空気とは無縁の、眩しいほどの美男子テディと、主人公のティリーは美形すぎて他からは浮いてた。母モリーも凛としてるし、ファレット巡査部長も知的な雰囲気を醸し出していた。

それ以外の村人たちは、「内面の卑しさ」が隠し切れず、ひたすら醜悪に見えてくる不思議。ところが結末を知って2回目に観ると印象が変わる。なにせ全員が一流の俳優陣。これは演出の妙による仕掛けだったと分かる。

 

 

 

2026.3.10

 

私の悪い癖で、余計な深読みをもう一つ……

 

邦題の『リベンジャー 復讐のドレス』。邦題としては確かにキャッチーで、映画を観るきっかけとしては大正解だと思う。でも、最後まで観てみると、少しだけ印象が変わった。原題は「The Dressmaker」主に婦人服を仕立てる人、「洋服裁縫師」

 

 

復讐も目的かもしれないけれど、彼女は決して、それに炎を燃やす攻撃的な女性じゃない。母を想い、身に付けた技術で誠実に生きようとし、過去の記憶を探しながらも、「もしかしたらこの村で、誰かと生きていけるかも」と健気な期待さえ抱いていた、素直な頑張り屋だ。

 

そんな彼女が、この村に帰ってきて何を見て感じたのか。

それは怒りや毒というより、自分が抱いたわずかな期待もすべて踏みにじられた果ての、「悲しい見切り」に見えた。
期待したけれど、ダメだった。ここにはただのゴミしか残っていない。

 

そう思うと、この映画はティリーが絶望の末にようやく手に入れた「孤独で清々しい再出発」かな。

 

 

 

 

 

 

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