
1 ニュースで感じた違和感…事故の状況と車種に関連はあるのか
年明けて早々、名古屋でスピード出し過ぎで横断歩道に突っ込み、男女が意識不明の重体となる事故があった。(事故のニュース、年明けて何件目だろう?)
何年か前に狂気じみた黄色いC‐HRのあおり運転がネットをにぎわせたように、今回の事故も同じ車。こういう異常な大事故では車種に少し偏りがある気がする。
購入している母数がそもそも多いから目に付くのも当然と言う人もいる。とはいえ、強烈なあおり運転、イラつきを誇示するかのような急で極端な車線変更やスピード出し過ぎによる重大事故に、例えば大衆車のカローラなどではあまり聞かないし、見ない。どうなんだろう?
事故は例えだけれども、私は車種によって、持ち主の気性も事故の性質も違いがあるはずだと思う。この話、自分の主観でしかないんだけど。
事故内容に、売り上げの母数の多さだけじゃ説明しきれない、何かの質の違いがあるんじゃないかな?
そうして、それぞれの車にある特徴次第ではそれなりの心構えが必要で、それを意識しながらこそ個性的な走りを楽しめるんじゃないかと思う。
2 「母数だけじゃない」のではないか
車の素人の私が説明するのは難しいけど、今年4日に起こった事故を例に、公式にある情報を2車種を比べてみた。
■ C-HR
クーペ的な低く流れるシルエットに張り出したフェンダーと大径タイヤ等SUV風の要素を組み合わせたクロスオーバー。
デザイン性や雰囲気重視で後方視界や見切りは平たく言うと二の次。
主な購買ターゲットは若年~中年で実用性よりも見た目や個性を重視する層。
これは、車両感覚や視界には、ある程度の慣れを前提とした車と思える。
■ カローラ(セダン)
これは事故例としてではなく、母数の多いであろう大衆車として比べてみる。
セダンとしての基本形を重視し、見切りの良さと車両感覚のつかみやすさを優先。
派手さはないけれど、日常使用での安全性と安定した操作性を重視した設計。
主な購買ターゲットは、幅広い層の一般ユーザーで、日常、家族、通勤利用目的。運転経験は浅い層からベテランまで。事故リスクを抑えるための「分かりやすさ」を重視した大衆車。ということらしい。
デザインだけ比較すると
・C-HR:デザインと個性を前に出した選択型の車
・カローラセダン:分かりやすさと安心感を積み上げた基準型の車
これを考えると、ターゲットはかなり違うし、客の性格も合わせると、実際に乗っているユーザーの分布は違うと思う。
3 視界について
C-HRは、リアウインドウが小さい、Cピラーが太い、後方・斜め後ろの死角が多い。プリウス系と同じく、「未来的デザイン>実用視界」と言われている。
視界が悪い車程ドライバーは「自分が見えているつもり」になりやすく、見えていないことに気づきにくい、判断を過信しやすい。これは人はだれしもそうだと思う。そうすると、スピードが出るほど危険。
例えば、私がこの車に乗って安全走行をしたとしても、実際に走ると、
・周囲の動向を認知するにも限界がある。
・では直接見ようとすると首・目・意識を振り回す。
・でもそれを入念にやるほど操作が荒れて危険。
・結果、「これ以上は無理」ってところで→ 脳が補完して走る
つまり、見えてない未来の危険があるにも関わらず、視界にある情報だけで操作をしてしまい→ 慎重さと同時に『誤った安全感』が発生してしまう可能性がある…これが、安全であると仮定し、「見えたことにして走る」
あるトラックのユーチューバーは、自分の車の前後数百メートルにわたって、どんな車がどの辺を走っているかを認識しながら走るべきである、と言っている。
確かにそうで、見習うべきだと思っている。
ただ、それを背の低い乗用車ですることは、やはり難しい。
カローラセダンも最近は後方に向けて窓は小さく天井は低くなっていたりで、そのうえ後部座席のヘッドレストを入れるとあまり視界は良好とは言えないらしい。なので視界の広さに限ってはあまり参考にしないで、極端な例としてトラックと比較してみた。
トラックであれば、前方はほぼ見えているし、ミラーでもかなりカバーされている(もちろん、大きなミラー本体の裏側やピラーの陰、高い窓の下など、頭を動かさないと絶対に拝めない死角はある)。後方は2022年5月からの新車はバックカメラが必須となった。そのため安心して死角のチェックができる。
トラックの死角は前方以外ではかなり多いけれど有名で、しっかり念頭に置いていれば気分的にもかなりゆとりを持って確認できる。
(ちなみに言ってなかったけど自分自身、実はトラックのドライバーでもあって。)
これは言い換えと、
視界がいい車ほど、慎重になれる
視界が悪い車ほど、強気の仮面をかぶらないと成立しない
とも言えないかな?
それに関して次の4で書いてみた。
4 トラックでの認知について、運送会社でハンズフリー電話も禁止されている理由
話は逸れるけれど、トラックについて話してみる。
実際のドライバーでの実施状況はそれぞれあるものの、ハンズフリー電話も禁止されている会社も多い。それはなぜかというと、あんなに景色は目に入っていても、「認識」ができなくなるから。通話中、それをしていないときと同じように周囲を「認識」できているかというと、そうではないと思う。
それは、目は開いていても、会話相手と自分の話の映像、想像が脳内を占めてしまうから。そこは器用な人もいるかもしれないけれど、私自身は、意識して通話を”上の空”にしなければ運転が危険だと思っている(緊急では赤信号等で電話を取ることもあります。すみません)。
ハンズフリーの通話の件で言いたいのが、さっき書いた視界の認識と同じ事。
もともと視界が狭すぎる車だと、不安の方が増し、その分を想像で補うだけでなく、更に目の前の良好な視界ももしかしたら認識として犠牲にしている可能性も出てくるんじゃないかと。スピードが上がるほどそれは起きやすくなるんじゃないか。
それなら、走りの中で、最良と思われるシーンに掛けるしかない。
つまり、「視界(入力)」が良くても、「脳(処理)」が別のことに占領されたら意味がない。「視界」が悪ければ周囲の状況を想像することに脳の処理能力を割かれ、通話しながら運転しているのと同じような状況になりはしないかという事。
車の作り手側は表現の自由かもしれないけれど、運転スキルや精神性が追いつかない層がその「仮面」を被った時、凶器に変わってしまう。
そして、そのスキルや精神性について、ちょっと思うことがあったので次に書いてみた。
5 「攻撃的運転は人だけの問題じゃない」…意図的な暴走と車種との関係
私の体験談
昔、設計が古くてお世辞にも乗りやすいとは言えない尖った性格のバイクに乗っていた。”乗りにくい”が代名詞のようで有名だった。それでも私にはその性質とスタイルに憧れていて、乗りこなしたい思いでいっぱいだった。
公道を走っている時に、魔が差す瞬間がある。視界がパッと開け、前方に誰もいない。カーブまで距離もある。「今行かずにいつ行く?!」という絶好のシーン。チャンス到来とばかりにスピードを発揮したくなる。そういう時こそ危険で、飛ぶように走った先のカーブが、知ってる道ですら、思ったより急だったり、まっすぐ飛ばしていたらはるか道の先で誰かが車線変更をし始めてヒヤッとしたり。今考えると本当に無鉄砲な走りだった。
自分の中で「GOサイン」が出た瞬間、反対に、それまで必死に周囲を警戒していた危険を「想像するスイッチ」がオフになっていた気がする。
自分を車に投影(特に”落ち着き”ではなく、”走り”に関して)している人ほど、車の性能を発揮させたい欲求を持っている。そうして、日常から解放された時や、視界が開けた瞬間に、自分にGOを出してしまう。そんな時、ドライバーは横断歩道の先にいる人の姿も「想像」できなくなっているのかもしれない。
また、若いバイクライフの中で、サーキットに併設されたライディングスクールに泊りがけで何回か参加した。そこは教習所での訓練をもっと発展させたような練習をし、最後にはサーキットを自分の思うスピードで存分に走らせてくれる。
どちらも、教習所とは比べ物にならないくらい懸命に練習する。
「出すならサーキットで出せ、公道では出すな」
スクールで言われたのか自発的に仲間内で言うようになったのか分からないけれど、どんなに公道を自由に走ろうとも、その言葉が心の根っこの責任として、当時仲間たちにはあった。
6 ハンドルを握る私たちの「根っこ」と「心の罠」
最近の車には、不便さを補う為や安全性の補助として最新の安全機能が充実しているらしい。でも「物理的な視界の悪さ」の上にデジタルな機能が付いても、それを上回る暴走となれば無いも同然。
実用性を捨ててまで「情緒(かっこよさ)」に振り切った車を世に送り出すことは、ある意味で大きな挑戦であり、同時に乗り手に高い意識を求めることでもあるんじゃないかな、と思ったりする。(そのメーカーさんの大衆車に乗ってるけど)
すべてのドライバーが、マシンからの誘惑を跳ね返せるだけの「根っこ(自制心)」を持っているわけではないから。
あおり運転や、度を越した速度超過。それはその人の性格だけでなく、選んだ車が引き出した影の部分かもしれない。
車は人によっては単なる移動手段じゃない。自己実現だったり、憧れ、希望だったり。デザインが放つ「強気なオーラ」だけを身にまとってしまうと、それは凶器に変わってしまう。
自制心の根っこを生やし、心理の罠を自覚して初めて、個性的な視界や挙動が、むしろ「乗りこなすのは難しいけれど楽しい車」、スパイスのある車になるんじゃないかな。自分がどんな仮面をかぶらされているのか、一度立ち止まって考える。それが実はどんな最新の安全装置よりも本当の意味でのブレーキになるんじゃないかな。