「M3GAN ミーガン」 AIの行方と人との関わり方にコメディータッチのホラーで問題を提起

 

M3GAN/ミーガン [Blu-ray]

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映画タイトル: M3GAN ミーガン(原題:M3GAN) 
監督: ジェラルド・ジョンストン 
主演: アリソン・ウィリアムズ、ヴァイオレット・マッグロウ、エイミー・ドナルド
公開年 :2022年
ジャンル: ホラー、SFホラー、コメディ

 

Amazonで「ミーガン2.0」が配信になったので、前に観た『ミーガン』をもう一度観直してみた。突っ込みどころはあるものの、全体的には目が離せない面白さがあった。

 

あらすじ:子供が生きていける家じゃない

 

玩具メーカー FUNKI(ファンキ)社 で働くの開発者ジェマは、ある日、交通事故で亡くなった姉夫婦の娘・ケイディをやむなく引き取ることになる。

 

しかし、仕事人間のジェマにとって姪は生活をかき乱す“お荷物”のような存在。家の中はモノトーンでスタイリッシュな独身仕様。自分の開発の成果であるオモチャはコレクションであり、ケイディが勝手に触ることは許されない。

周囲の心配をよそに、ジェマは「だって私の子じゃないし」と平然と答える。

 

そんな中、ジェマは鋭意開発中のAI人形「M3GAN」をケイディに与える。ミーガンはケイディの悲しみを包み込み、優しく話を聞き、本当の親、友達のように振る舞う。だが、ペアを“守る”というプログラムが次第に暴走していく。

 

そのあたりから不思議とコミカルなイメージになっていく。いじめっ子の耳をゴムのように引きちぎり、上司を襲うシーンですら、どこかシュールさが漂う。なぜこれほど深刻さが無いのか…。

この映画、暴走やホラーそのものが主題ではないという事?

 

物語の終盤、ジェマは守るべき存在を自覚し、ケイディと向き合う。正直前半の冷たさに比べるとこの改心は唐突過ぎて違和感を感じた。
“人間の成長”としてはわかるけれど、素直に受け取れなかった。観ていて思わず、「ほんとかね?」と言ってしまった。

 

 

考えてみると、そうだ。

・ジェマの子供嫌い。

・セラピストのリディアは完全すぎるおもちゃであるミーガンに、ケイディの相手をさせることを心配し、愛着理論まで語り出す。

 

ジェマ:「子供とペアになることでミーガンは学ぶの。ミーガンはケイディの救いになってるし、まるで家族の一員よ」

 

リディア:「”愛着理論”を知ってる?親を亡くした子は次に会った人に愛着を持つ。その人は愛を与え、支えることで模範となるの」

「ケイディは彼女をオモチャではなく、保護者とみなすわ。私にはこの先が見えない」

※引用:映画『M3GAN/ミーガン』(2022年、ユニバーサル・ピクチャーズ

 

これを書いてたら、ちょうどNHKの「クローズアップ現代」で、『暮らしが激変!? AIロボット 介護に革命』というのをしてた。

 

老人ホームで認知症患者との会話に特化したロボットは入居者の笑顔を増やし(研究途中ではあるが)、また介護者の負担軽減につながっている。携帯電話のおしゃべりプログラムのサービスでは、独り暮らしの老人の孤独感の解消にも役立っている。毎日話すのが日課になっていて、楽しいと感想を言っていた。

 

 

対話型のAIは、子供とか老人とか、特に手間のかかる人達に積極的に使われそうだし、こっちがテーマになっているように感じた。だから暴走に深刻感が無くてコミカルな仕上がりになったのかな?

 

 

 

 

というところで、余談としてここからちょっと深読みコーナー。

 

 

AIの完璧すぎる友達、完璧すぎる親が及ぼす影響

 

昔、レコードからCDへと少し進化したときに、レコードは雑音が混じることで聞く人の脳を刺激し、いい音に聞こえる、という考え方があった。

自然現象から発生する音と、CDなどのデータの音。

 

他に、俗にパワースポットと呼ばれる人間の脳に官能を与える自然の中のモチーフ…神社なり、木々の音、風の音、波の音と。対して、日常的に聞いている人口的に発せられる変わることのない同質の音。または、いつも同じ場所にいることによって聞こえる同じ音。

同じ遺伝子でできるクローンの食物。

同種を食べる動物の奇形。

近い親族同志から生まれる奇形の子供。

 

データから現れる反応の発現(AI)に、身を任せる人間

 

ここに何か共通点がある気がする。

それは、「ゆらぎ(不純物)の欠如」なんじゃないかな?

「1/fゆらぎ」と言われ、一昔前は扇風機に取り入れられたりした。今ではエアコンの自然風モードにあたる。

人間は予測しきれない不純物によって脳も体も活性化して安らぎや生命力を得るのだと思う。

 

人間同士の関りは誤解、喧嘩、沈黙、期待外れと言った「不純物(ノイズ)」だらけ。でもそのノイズがあるからこそ相手と自分とは違う「他者」として認識し、人は脳をフル回転する。自分好みに合わせてチューニングされたAIは自分にとって心地いい反応しか返さない。

 

そこには、同種を食べる状況に近く、自分の思考のコピーを摂取することで精神的な揺らぎや免疫が失われ、他者という「パワースポット(外部刺激)」を受け付けなくなってしまう。

 

ジェマがケイディに与えたのは、ノイズのない「完璧なデータ(ミーガン)」。でもケイディに本当に必要だったのは、ジェマとの「不器用で、衝突だらけで、でも温かい、ノイズ混じりの日常」だったはず。

この「人間特有の不器用さ(ノイズ)こそが、人を人として成長させるパワースポットである」がミーガンの映画の本質であると思う。

 

 

人間がAIと話すという事…

 

孤独な老人と、親を亡くしたミーガン。

大人と子供ではAIの使い方、感情の入り込み方が違うと感じる。

一般的に大人はAIの相手をする器量があるのではないか。人生経験を積んだ大人は、相手が「データでできている」ことを分かった上で、あえてその「揺らぎのない肯定」をサプリメントのように利用できる。 それは依存ではなく、「自分の機嫌を自分で取るためのツール」としてAIを使いこなしている状態。

 

AIを相談相手にしている人も多い今、「忖度なく答えをください」「明るく励ますようにフレンドリーに答えてください」と指示できることと同じ。

 

これはできないパターンもあって、鬱状態に陥ったブロガーがうつうつと心境を吐露していったら、解決策はなく、最悪な状況となってしまった、ある程度健康な時に使うべきだ、と書いている。

それは子供がAIを相談相手にしている今と変わらないと思う。

 

・心が弱っている(うつ状態の)大人

・まだ自己が確立していない子供

にとって、AIは危険でもある。

映画では「ミーガンを求めるケイディ」を病的にまでは描いてないけれど、現実に置き換えて考えると生身の人間とAIを混同していてもおかしくない。

 

AIと話をするためには、「AIが人間の話し相手をする」のではなく、あくまで人間主導で「人間がAIの相手をする(主導権を握り、使いこなす)」ことがかなり大切になるような気がする。

 

 

 

怒ったミーガン

 

追記として、そのほかの感想…

 

印象的だったのは、ミーガンの存在感。スクリーンにいるだけで絵になる。

“お人形系ホラー”ではあるけれど、充電やペアリングなど現代的な設定が多く、クラシックなホラーとは違うハイテク感が面白い。ただ、充電中(スリープ状態?)に目が開きっぱなしなのは正直怖い(笑)。

 


ちょっと気になった点……

開発データをコピーしていたスタッフの件、結局どうなったの?
→ 続編につながるのかもしれない。まだ観てないけど。

 

さて、『M3GAN/ミーガン 2.0』はどんな映画になってるのかな?

 

 

 

 

 

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